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<2025年8月23日開催>
今日は私自身の不妊治療をするに至った経緯や体験談をお話しさせていただきます。
私の体験談が少しでも皆様のお役に立てたら嬉しく思います。
まず、なぜ不妊治療をするに至ったのかについて話していこうと思います。
学生の頃から生理不順でした。生理痛がひどい時は薬を飲んだら治まっていました。気になって病院に行くと薬を処方され、その時はよくなりました。ですが、またその後すぐに不順になりましたが特に気にしておらず、社会人になり仕事の忙しさもありそのままでした。結婚してそろそろ子どものことを考えていたので、また病院に行きました。すると今までなかった子宮筋腫があり、大きさが少し大きいので早めに不妊治療の病院へと紹介状をもらいこちらへ来ました。想定外のことで頭が真っ白になりました。
まず子宮筋腫の切除手術をしますと言われました。今まで入院すらしたことがなかったので全身麻酔で開腹手術と聞いて怖くなりました。結婚→妊娠→出産と自然の流れでできると思っていたのが、すんなりできないとわかりショックでした。これから治療となると時間もかかるし年齢的な焦りも感じていました。
2週間ほどの入院中はコロナ禍のため夫以外とは面会できず、夫は平日には来れないため淋しさとお腹の痛みと今後どうなるのかと、そんなことばかり考えて不安でした。
手術が終わり不妊治療です。多嚢胞性卵巣症候群でした(PCOS)。卵巣内に発育が途中で止まった小さな卵胞がたくさん残っている状態で、卵胞の成長に時間がかかり、排卵が起こりにくくなる病気です。タイミング法も試しましたが授からず、体外受精へと進みます。自己注射をしたり、毎週病院に通ったりと少しずつ負担が増えてきました。私はフルタイムで仕事をしていましたので両立するのは大変でした。シフト制で固定休ではないため休みの変更は同僚に無理を言って代わってもらったり、仕事をしていても注射の影響なのか体調がすぐれない時もありましたが有休がなくなりそうだったので無理していくときもありました。休みの日も通院か手術で自分の本当の休みがなく仕事と病院の往復のような生活をしていました。息がつまり心も体も疲弊していました。
夫は朝早く出て夜遅く帰ってきます。土日休みですが合わせようとしないと私とは休みが合わず平日はゆっくり話す時間も取れないため治療を一人でしている感覚でいつも孤独を感じていました。注射をしているところも治療を受けているところ(通院の様子)も見たことがないからか、男女で治療に対して気持ちに差があるからなのか、治療について聞いてきたり励まされたりしたことはありません。不満がたまってぶつけたこともありますが自分は原因ではないからと言われた時には愕然としました。2人の子どものことなのに、私だけが負担を背負っている、これはいつまで続く?、このまま授からなかったら?、この人と結婚したのは間違いだったかもなど、いろんな思いがこみ上げてきていつも一人で泣いていました。夫でもこんな状態なので、当事者にしかこの苦しみはわからないんだろうなぁと思って悲しくなりました。
治療は体外受精2回目で流産しました。着床確認できて、おめでとうと言われたわずか数日後のことでした。夜中に見たことないくらいの大量の出血と激しい腹痛で眠れませんでした。翌日の掻き出す手術の時は悲しみとどうして…という思いで混乱していました。やっと一歩進んだと思ったのがまた治療最初からか…という現実に天国から地獄へ突き落された気分でした。それから赤ちゃんや子どもに対してさらに敏感になっていきました。子どもがたくさんいる場所には行けなくなり、子どもの声を聞くのも体が拒否していました。TVで大家族や児童虐待のニュースを見ると、なぜ私のところには1人も来てくれないの?世の中不公平すぎると思っていました。子持ちの友人とは疎遠になり、職場でも子育ての話は相槌を打つのも辛く、加わらなくなりました。二度とこんな思いはしたくなし、また流産をしてしまうのではないかと怖くなり、治療を中断しようかとも考えました。
そんな時、先生がこれで着床することがわかったんだから今辛いかもしれないけど続けてみる方がいいと思うとアドバイスをいただき継続することにしました。とは言え、治療がいつまで続くのか?授かるのか?という答えのない疑問がいつもループしていて、先が見えずただ時間だけが過ぎていくことがもどかしく、この思いを1人で抱えていることにも限界を感じていました。
不妊治療のことはあまり言いたくないと思っていましたが、友人に不妊治療をしている人がたまたま見つかったので打ち明けました。そして職場の先輩にも同じように治療をしているとのことで話を聞きました。そして親にも今までより詳しく話して、体調が悪い時や仕事が忙しい時はごはんを作ってもらったりして助けてもらいました。
不妊治療のことを考えると不安な気持ちが襲ってきて何も手につかないくらい耐えられない状態になるので少しでも解消しようと思いました。まず、最初にもらった本の自分に該当するところを何度も読み直しました。毎回の通院時に治療でわからないことを先生に質問しました。それでもわからないことは看護師の方にも聞きました。移植の時は培養士の方にも聞きました。そして心理士の先生にも思いを聞いてもらいました。セント・ルカで開かれるセミナーなどのイベントには可能な限りすべて参加しました。孤独な思いが最大の悩みでもあったので同時期に治療をしている方の話が聞けてとても参考になり、同じように頑張っている人がいるとわかると自分も頑張ってみようと勇気をもらえました。人にも自分の話を聞いてもらうことで心が軽くなって気分が少し落ち着いてきたのを覚えています。スマホで検索はほとんどしませんでした。同じ病名でも自分の場合と異なることがあり無駄な(余計な)心配をするだけです。
その後4回目の体外受精で出産に至りました。着床してからも毎週何が起こるかわからないと不安でした。この手に抱くまでは喜ばないと決めていたので、帝王切開で生まれてきてくれた時には嬉しさと同時にずっと願っていたことが現実になって信じられない気持ちでした。多嚢胞は性質上、卵が少ししか取れず毎回採卵と移植の繰り返しでした。私にとって採卵は試練で麻酔が効きづらいのか、いつも最後の方でぼんやり目が覚めてきて終わってからも少し気分がすぐれず、毎回採卵はこれで最後にしたいと思っていました。
多嚢胞は糖尿病と関連しています。身内に糖尿病になった人がいたので規則正しい生活を、これ以上太らないようにと言われていました。お酒も美味しいものを食べることも好きだったので我慢するのはきつかったのですが自分なりに気をつけています。
本来であれば一番頼りたい夫が機能しなかったため、ずっと孤独がつきまといいつも心の拠り所を探していました。病院の皆さん、友人、親、職場のたくさんの方に支えてもらい治療を卒業し我が子に出会えました。出産は当たり前ではなく奇跡が重なって授かることを身をもって感じました。不妊治療をはじめてからゴールのない迷路に迷い込んだようで毎日治療のことが頭から離れず、心も体も休まりませんでした。
学校で避妊は教えてくれますが、不妊は教えてくれません。もっと早く知っていたらと悔やみました。何もなくても一度検査をしてもらうと安心かと思います。私も結婚相手、年齢、時期などをもっと吟味していたかもしれません。治療で負担がかかるのは自分自身です。自分の心と体が壊れないようにすることが大切だと思うので、頼れるものは何でも頼って、時には小さなご褒美を自分にあげるのもいいと思います。そして前向きに進めていってほしいと思います。
治療を頑張っている皆様のもとに赤ちゃんが授かりますよう心から願っています。
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